桜ノ雨

卒業ソングで歌いたい学校増えたってことですが。
作り手パワーなのかミクパワーなのか…。



で、合唱映像も見るわけですけど…合唱向きじゃあないよねこの曲?
聞くとどうしても…誰か上手い人代表で歌うか、みんな同じパートの方がいい気がする。
パート分けができてないのかもしれないけど…「合、唱?」って…思ってしまうんですが…。
当人方がいいのならいいんですけどね…まあ。
他人が口出すことじゃないけど。


卒業式の合唱練習って
結局本番で歌ってると泣いて歌えない人もいるわけですよね。
練習の意味ってあるのかと大人になってから考え始めました。悪い大人ですか?
泣く人口が増えるほど形がなくなるんだから、練習しなくても結果同じレベルの歌になるんじゃないかなーって。


練習も思い出だ!ってことならそれはそれで練習すべきなのか。


悪い大人になったなぁ…俺。



でも、ごめんなさい。
曲自体は好きだけど…いまいち感動が足りないのは何故なのか考えてみた。


1:桜開花が4月末くらいからだから卒業式の頃に桜が咲かない。
(現実味がない。東京にいたときはちょうど卒業時期に咲いて驚いた経験がある)
2:別々の場所へ旅立っても友達と思っていたけど、現実はそんなことなかったのを知っている。
(大体定期的に連絡しない、もしくは会わなくなった人とはもう同窓会でもないと会わない)
3:卒業式に結局泣いたことがない
(その辺の涙腺はゆるくないらしい)


という結論。
…大人になるってよくないなぁ。
別れたくない人とは定期的に連絡はとらないとなーって経験論。
距離があればあるほどとらないと忘れられるか、キッカケ失って連絡できなくなる。


そして向こうにとってどうでもよくなるとアドレス変更の連絡も来なくなって消去される。
自分も同様にすることになるわけですが。


実際それで結構「送信できませんでしたー」って電話帳減っていくんだよね…あぁ恐ろしい。
今更出会う人はなかなかいないから増えもしないしね…ははん。